●profile/shokishodo
まつきあゆむの歴史
| 1983年 6月 | まつきあゆむ生まれる |
| 1995年 夏 |
ビートルズを始めて聴く。まつき家は音楽を聴かない家庭だったので友人の父親が好きだったビートルズ初体験。 衝撃、のち、アルバム全購入。クリスマスプレゼントにアンソロジーをねだった程。自分の所属していた整頓係に「ヘルタースケルター」と名付ける程。それほど。 ビートルズ関連の本を徹底的に買い集め、読みあさり、エピソードを暗記する、という小学校時代。それほど。 好きな女子には「マジカルミステリーツアー」を貸した。それほど。 |
| 1996年 | 中学生受験に成功、アコースティックギターを買ってもらい、「ブラックバード」を弾く。 |
| 1997年 |
これから、大学に至るまでずっと宅録ひとすじであった。 テープの4TRからデジタルパフォーマーまでの歴史。 バンド経験なし。ステージで今も使うフェンダーテレキャスターは中2のとき買ってもらった。親父に。お年玉で。 |
| 2004年 夏 |
大学3年生。くるりのラジオでオンエアーされ、死ぬ程喜ぶ。嬉しくて友人に電話をかけても、深夜3時半という放送時間のせいか誰も出てくれなかった。 以来、一週間に一回新曲を送りつける。ディレクターを六本木ヒルズから呼び出したこともある程の傍若無人ぶりであった。初期衝動。 |
| 10月 |
モナレコードに、この頃であう。行達也氏は最初、「ゆき」という名前から女性だと思っていた、というとんでもない話し。 1st DEMO CDRを500円でモナにおいてもらいなかなかの評判をえる。 |
| 12月 | 2nd DEMO CDRを引き続きワンコインで販売。大好評で、売り切れ続出。 |
| 2005年 1月 | 一人で下北沢を中心にライブ活動を開始。 |
| 2月 | くるり主宰ノイズマッカートニーレコーズコンピレーションにめでたく参加。メンバーに会う機会があり大興奮。うっとおしがられる程なついた。実際、うっとおしかった。 |
| 4月 | 前から素晴らしいと思っていたバンド、いなかやろうに頼み込み、彼らをバックにライブセット練習を開始。バンド初体験。 |
| 5月 |
モナレコードよりまつきあゆむ名義で「自宅録音」を発売。完全に自宅録音だけの音源であり、外部のスタジオは一切使わなかった。 インストアライブを死ぬ程行う。タワーレコードにヤフオクで購入した、タワーレコードTシャツを来て登場、タワーレコードの歌詞がはいったアルバム収録曲を歌い上げる。 同時期にロッキンオンジャパンを始め、雑誌に登場。 |
| 6月 | いなかやろうと並行して、モナレコード人脈で結成されたバックバンド(G;藤田顕(plectrum)、B;行達也、D;森信行(exくるり))も結成。大変勉強になった。超豪華。頭が下がる。 |
| 7月 | 初の関西ツアー、地獄の日程で疲れる。フジロックに観客として参加。という普通ぶりも発揮。 |
| 8月 | 盟友スロウカーヴのリミックス2曲で彼らのシングルに参加。リミキサーデビュー。一番好きなアルバムの収録曲をほぼ使い1曲にするという斬新なものだった。 |
| 9月 |
いなかやろうをバックにZeppTokyoに出演。共演は曽我部恵一、ノーナリーブス、SAKEROCKなど。 同月に、主催者のブログに書き込みアーティスト本人がお願いする、という斬新な手法で出演が実現した、渋谷AXで行われた「daimasの日記」。 共演は椿屋四重奏、syrop16g、アヒトイナザワの新バンドなどであり、まつきはサプライズで入り口ロビーで演奏、100人以上の聴衆を集め、のちにDVDにも収録された。 また、この月のみ、丸尾和正(exクリンゴン)がドラムを担当するライブがあり、大阪や神戸など地方でもライブアクトを活発に行う。高速道路に親しみを感じる。 |
| 10月 | いままで行っていたバンドセットを一旦休止、公募により新しいライブメンバーを集めて1DJ+ベース、ギターというスタイルでライブ開始。 |
| 12月 |
やはりバンドでのライブアクトに戻りたいと思った矢先、現代っ子らしさを遺憾なく発揮、mixiのコミュニティーによりメンバー(おじいちゃん、くまさん)を発見。 くまさん(ドラムス)はおじいちゃん(ベース)が連れてきたのであった。 初ライブが名古屋、翌日に東京、というすさまじいものであった。が絆は強まった。あだ名とかで。 |
| 2006年 1月 |
モナレコードで初ワンマン「明けまして初期衝動!」を開催。満員御礼。チケットにはお雑煮がついた。 いなかやろうを初め、いままでバンドを手伝ってくれた人たちがほぼ全員出演。 セッティング中には、お世話になったアーティストからのお祝いコメントも流され、スロウカーヴ、今井三弦(ex真空メロウ)、アチコ(オンボタンダウン、KAREN)、佐藤征史(くるり)などそうそうたる顔ぶれであった。 カバーコーナーやメドレー、DJなどもあり、5部構成のお祭り的なライブアクトであった。まつきあゆむオンステージ4時間。大成功。 |
| 2月 |
冗談のようなアイドルバンド、グリムに成り行きでギターで参加することに。初ライブは大阪であった。梅田の土地勘がつく。 同月、京都磔磔で初めてライブを行う。共演者は向井秀徳。 感動したまつきはギターにサインしてもらった。 |
| 4月 |
大学をなんとか無事4年生で卒業。卒論のタイトルは「音楽と再生装置、リスナーの心象風景〜クラシックからエレクトロニカ、ジュークボックスからiPodまで〜」 バンドメンバーをおじいちゃん、くまさんに固定し、異様に仲良くなった。バンドという生き物としての信頼関係が出来上がった。 間髪入れずにセカンドフルアルバムに向けてのレコーディングに突入。 recには色んな人が参加し、ドラマーだけで3人にもなった。 またまつき自身が一人きりでミックス作業を行い、ノイローゼ気味になる。 |
| 9月 | バンドセットの演奏や、持ち前の自宅録音をミックスした初のフルアルバム「ディストーション」14曲入りをリリース。 ライブツアー「ディストーションで猫まっしぐら」を行い、バンドの調子が頂点に。かなりの手ごたえを感じつつ、ツアーは無事終了。 |
| 11月 | ツアーファイナルとして、渋谷ネストにてワンマンライブを敢行。「ディストーションと1111匹の猫」を11月11日に行う。ネストが満員で感動したわりには一番最初にサンプラーの音がでなかったりした。最終的にはすごく盛り上がり、大満足。 |
| 12月 | 初の年越しライブをモナレコードで行う。なお、成り行きで参加していたアイドルバンド「グリム」を脱退。理由は「県員選挙に出るため」であった。 |
| 2007年 1月 | 同年より所属レーベルをUMA recordsに移す。急遽1月4日再びワンマンライブ「明けまして初期衝動07」を行う。なぜかまたモナレコードで。 アコースティックセットとバンドセットのロングランライブで来場者にはお手製絵と筆文字が入った超シュールカルタが配られた。メンバーの私物プレゼントもあった。同月、初来札。 |
| 2月 | レコーディングに突入。メンバー、エンジニアの星野誠と共にストイックに録音、ミキシングしPANを降り続ける。ビートルズを死ぬ程聞き、泣く。まつきばっさり髪を切る。 |
| 3月 | 引き続きレコーディング。大阪、神戸、福岡ミニツアー。オフは温泉街に行き女将のミニスカート姿に驚きを覚える。 |
| 5月 | まつきあゆむ、太る。髪を切らなきゃまだ良かったんじゃないか説。 |
| 6月 | 春から録音していた「夕暮れの現代音楽リリース」。下北沢Club Queにてワンマンライブ「夕暮れゼミ現代音楽コース」を開講。満員御礼。ゲストプレイヤーに日本で一番あつい男、いや、漢、木村ひさしを迎える。ディストーションボーイTシャツ完成。 |
| 7月 | 音楽をやっていて一番嬉しかった事がおこる。「ももこ」という曲をきっかけにさくらももこ先生の事務所から手紙と色紙が自宅に届く。号泣。家宝にしてリビングに飾る。生きててよかった。 |
| 8月 | 人生初、曲ができない病。重傷。落ち込む。やめよっかな、とすら思う。 |
| 9月 | 曲ができなくてなにがなんだかわからないくらい落ち込む。一週間で1曲myspaceに曲を更新する「新曲の嵐」の企画を思いつく。思いつきだけで声明、決行。テンションの高さと「ライブ感」に昔ラジオに曲を送っていた興奮を覚えて、覚醒。新曲が毎週できる日々。 |
| 10、11月 | ミナミホイール出演等、ライブをしつつ新曲の嵐に没頭。夢中。11月のライブを境にドラマー熊谷太輔が電撃脱退。色々あった。 |
| 12月 | 相変わらず、新曲の嵐に没頭。新ドラマー探し。 |
| 2008年1月 | ドラマーをかつてともにプレイしていた森信行に一任。たまっていた新曲を一気にレコーディング開始。新曲の嵐継続。アートディレクター一般公募。活動的な年始。モードを切り替えたくて新年イベント「あけまして初期衝動」を休む。 |
| 1〜3月 | レコーディングと平行して2マンマンスリーイベント「名演の嵐」を下北沢shelterにて3ヶ月連続開催。木村ひさし、相対性理論、AUXと名演。レコーディングも自宅やスタジオで縦横無尽に繰り広げる。自分でmixし、ノイローゼ気味に。 |
| 4月 | 呼ばれればどこにでもライブへ行く宣言。最低の経費さえあれば、バンドでも一人でも全世界行きます、というもので、これをきっかけに元々地方で応援してくれている人にもっと会いにいけるように。人が好きになる。曲がたくさんできる。新曲の嵐で発表する。 |
| 5月 | アルバム「まつきあゆむ」発表。アートディレクションは公募で決まった北原かな。PVやトータルデザインも彼女とやり、レコーディングに参加した子供たちも巻き込んでサイケデリックでアナログ文化的な雰囲気のアルバムになった。満足。 < |
| 6月 | アルバムツアーと別の、4月に声明した「聞きたい人が呼んでくれるソロツアー」に出て色々まわり、岡山で一生の友人を作る。やはり個人的に呼んでくれる人には強い思いがあり、人の力がある。大阪clubjungleで初のワンマンライブ「まつきあゆむ過ぎる大阪」開催。録音媒体をprotoolsにシフト。金がかかる。 |
| 7月 | 「まつきあゆむ」のリリースパーティー「まつきあゆむ過ぎる日」を開催。これは一日に下北沢で3公演行うもので、mona records(夕方)→Club Que(夜)→basementbar(オールナイト)と約半日続いた。スペシャルゲストは、アナログフィッシュ佐々木健太郎、いなかやろう押田千紗代、行達也。アンコールで「バスストップ」のPVで使用した着ぐるみで登場した時が一番盛り上がった。俺が。 朝の終演後、廃人のようになる。もちろん、打ち上げは、なし。 |
| 8、9月 | 色々な事をリセットして考え直す。本当になにがしたいのか、これからどうして行きたいのか、を考える。猛烈に新しい事がやりたくなる。大人になる。新曲の嵐、断続的に。悩むモード突入。こいつは毎年、秋口にやってくるのか怒。 |
| 10月 | バンド、ソロ共にライブの方法論を改革。一回してきた全てを捨て、マックブックやシンバルや自分の周りにごちゃごちゃ置いてみる。自分らしい、本当にやりたいライブを画策。ライブ当日まで未知数だったが、成功。新しい形態でライブ。曲もできる。しかも、最高。 |
| 11月 | 今のバンドのライブや新曲の良い状態をいかに効果的に世界へ提示するか、新しい方法が必要だと思う。音楽雑誌や既存の文化に頼ってられない、と思い自分で考えてみる。必死で探す。やるかやられるかギリギリのラインで。何か新しい方法は。 |
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2009年1月 | 「明けまして初期衝動」復活。 |
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2009年3月 | ライブ活動の一切を中断。録音活動に専念することを発表。 |
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2009年10月 | Twitterに夢中。Twitterに夢中。Twitterに夢中。 |
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2009年11月 | UstreamとTwitterを使い、1000人分のつぶやきを歌詞にして楽曲を作り上げる過程ごとまるまる配信。「1000人twitter」をその日のうちにフリーダウンロードにする。アイデアを思いついて曲ができてから録音して世界に届くまでたった6時間。 |
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2009年12月 | 28曲入のニューアルバム「1億年レコード」を発表。 そして、新たなる活動基盤となる「M.A.F」(マフ)の設立を宣言した。 |
